

奈良のいけばな教室 連翹 不退寺
春めいて参りました。 京都の街中でも桜が咲く季節になってきました。 今日は、桜ではなく、春に咲く連翹(れんぎょう)の話をさせて頂きます。 奈良市の法蓮町に不退寺というお寺があります。 元々、平安時代に六歌仙の一人の在原業平によって建立されたと 所以のあるお寺です。 平安遷都後の、809年に平城天皇が弟である嵯峨天皇へ 譲り渡した後に、俗世間である京都を逃れ、静かに住む場所として、 現在の不退寺の場所に移り住みました。 当時は、その住まいを萱葺屋根の建物から「萱の御所」 と称されていました。 その後、平城天皇の皇子である阿保親王が、 更に阿保親王の5男である在原業平が暮らしたといわれます。 伊勢神宮参詣時に神から命令を与えられたのを機に、 業平が自ら聖観音像を刻み、 「不退転法輪寺」と号して阿保親王の冥福を祈って供養を行ったのが、 寺院としての始まりと伝えられています。 聖観音像は六観音の一尊であり、 普通の人の姿をした1面2臂の像です。 左端の像が、聖観音像です。 見えにくいです(笑) 余談ですが、密教では聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音


奈良の生け花教室 三十三間堂 春桃会 上巳の節句
昨日、三十三間堂での春桃会に参加してきました。 毎年、3月3日は三十三間堂では無料開館がされるのですが、 それに合わせて、池坊による献華祭と花展が 行われています。 中では写真が撮れないので写真はありません。 母は作品の展示、私の先生が献華の奉仕者だったため、 私は旗持ちという役で参加させて頂きました。 千手観音坐像と千手観音立像1000体の中での、 催しは非常に緊張感がありました。 上巳の節句とはどのようにして始まったのでしょうか? 古代に中国から伝わった習慣として、 「曲水の宴」と呼ばれる杯を水に流して穢れを払う習いがありました。 奈良・平安時代、貴族の間で「曲水の宴」が旧暦三月上旬の巳の日 (上巳)に行われるようになります。 文武天皇の頃から、文献によく登場するようになります。 同時期に、貴族の間でその子女が人形で遊ぶ「ひいな遊び」という 風習が始まりました。 この頃のひな人形は現代でいうところの シルバニアファミリーや、りかちゃん人形的な物であると思います。 すなわち、ひいな遊びは 当時の女の子達にとって感情や情緒を育み、 自らの頭で行動