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奈良のいけばな教室 連翹 不退寺

  • 田中トシユキ
  • 2015年3月24日
  • 読了時間: 2分

春めいて参りました。

京都の街中でも桜が咲く季節になってきました。

今日は、桜ではなく、春に咲く連翹(れんぎょう)の話をさせて頂きます。

奈良市の法蓮町に不退寺というお寺があります。

元々、平安時代に六歌仙の一人の在原業平によって建立されたと

所以のあるお寺です。

平安遷都後の、809年に平城天皇が弟である嵯峨天皇へ

譲り渡した後に、俗世間である京都を逃れ、静かに住む場所として、

現在の不退寺の場所に移り住みました。

当時は、その住まいを萱葺屋根の建物から「萱の御所」

と称されていました。

その後、平城天皇の皇子である阿保親王が、

更に阿保親王の5男である在原業平が暮らしたといわれます。

伊勢神宮参詣時に神から命令を与えられたのを機に、

業平が自ら聖観音像を刻み、

「不退転法輪寺」と号して阿保親王の冥福を祈って供養を行ったのが、

寺院としての始まりと伝えられています。

聖観音像は六観音の一尊であり、

普通の人の姿をした1面2臂の像です。 

左端の像が、聖観音像です。

見えにくいです(笑)

余談ですが、密教では聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、

馬頭観音、准胝観音を「六観音」と称しています。

観音像の標識としてもっとも見分けやすいものは、

頭上、頭髪部の正面に化仏と称する阿弥陀如来の小像を置くことで、

奈良時代にこの手の仏像が多く作られています。

不退寺は『三代実録』とよばれる、

日本の平安時代に編纂された858年8月から887年8月までの

30年間を扱った歴史書に、860年10月15日、真如親王が平城京内の田地を不退寺に施入したと記録されています。

真如親王は出家前の名を高岳親王といい、

平城天皇の皇子、阿保親王の弟にあたり、

このことから、不退寺は伝承どおり平城天皇所縁の寺であると

推定されます。

この時期になると、4月の中旬頃まで、

連翹(れんぎょう)の花が綺麗に咲き誇ります。

連翹は中国が原産の花で、

古くは漢方薬の材料として使用されていました。

日本にも平安時代に薬の材料として持ちこまれた

と言い伝えられています。

不退寺は1675年発刊の南都名所集にも

その記載があり、江戸時代に花の美しいお寺として

紹介されています。

下は連翹を使った作品です。

春になると、桜の花見もいいですが、

普段は見られない花を見に行くのも一興だと思います。

近くには、全国的に有名なカフェのくるみの木があります。

散歩序でに立ち寄られてみてはいかがでしょうか?

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